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出会えた命の足跡
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2018年08月01日 (水) | 編集 |



シジミは小さい頃は、ずっとボスの懐で寝て、ボスが去った後はボギーのそばにくっついてました・・

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ボギーが去った後はアスカしかいなかったですが、アスカは自分から傍に寄っていくのは良いのですが、逆に寄ってこられるのは嫌いで、怒られるのがわかっていたから、シジミは車に乗っている時以外は、絶対に傍には寄りませんでした・・

なのにアスカが死んだ時、初めて自分からアスカの傍に寄ったのを見て、シジミなりに、アスカの死を悟ったんだと思います・・

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火葬場でも、ボス、ビアンカ、ポチ、ボギー、クレア、アスカの全員を見送りました・・

一番小さな身体で、全ての死を受け入れなくてはならなかったのは辛かったでしょうに・・。

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アスカ亡き後、未だかつてしたことのない謎の行動が目につきました・・
トイレに行きたいわけでもなく、暑いのに庭に出てはボーとして、気が付くと草むらの中で寝ていることが多々ありました・・

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アスカが具合悪くなる前から、シジミの食欲がなくなり、悪性リンパ腫と判明したけど、一時的に食欲も回復した途端、アスカの死で一切の食事を拒否しました・・

あんなの大食漢だったシジミが、どんどん痩せて、骨と皮だけになる様をみるのが辛く、強制給餌をしていたのは、たんなる自分への気休めだったのかもしれません…

仕事から戻って、すぐにヨロヨロとしながらも立ち上がったシジミに補液をし終わった数分後、私の腕の中で静かに息を引き取りました・・

シジミは私の帰りを待っててくれましたが・・・
アスカやみんなの後を追って、逝ってしまいました・・


シジミはパグなのに、アジリティーが出来ました~
スラロームだって、シーソだって、細い一本橋だって・・・
小さなバケツをくわえて持ってくることも出来たし、座って待つことはアスカよりも長く出きたほど、賢いパグに育ちました・・
映像がなくて残念ですが・・・


王国で引き取った最後の犬のパグのシジミの死は、私の犬生活の終焉です

シジミ・・・・ お疲れ様でした・・    
                   
             2016年 8月1日 享年 12歳

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2018年07月15日 (日) | 編集 |
もったいない 539 (2)

2003年10月21日に6匹で生まれたアスカの兄弟たちは、とにかくケンカが絶えなかったのです・・。
その2週間前に生まれたパグのシジミたち兄妹を、子犬同士なのにマジ喧嘩で担当者たちを困らせてました・・。

それを見ていたのもあり、翌年には東京動物王国に移動ということもあって、ボーダーは世界で一番賢い犬種と言われてるのと反対に、パグは3歩あるけばすぐに忘れてしまう・・というこの凸凹コンビを何でも出来るエンターティナーにしょうと一緒に育てることにしました。

何より私がフリスビーでもっと技を磨きたいと思い、ボーダーを引き取ったのが本音ですが、アスカもボールの方が好きみたいでなかなか上手くはいかず、東京に移動してたった一度の大会で諦めました・・。


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アスカはとにかくボーダー特有の気難しさが全くなく、犬にも人にも誰にでもフレンドリーというのが自慢でした。

犬の催しもので生後7か月のボーダーの子犬と対等に遊んだりして、先方も若いですね~と褒めて頂きましたが、すでに当時7歳過ぎてました・・。

そして底なしの食いしん坊でした・・。


亡くなる1年前くらいから頻繁に突然、倒れることが度々あり、何度も病院に行っていたのにわからずじまいで、判明した時には時すでに遅しの肝臓がん・・。

摘出手術をしたのに余命半年と言われましたが、食欲も回復し、元気も取り戻したから、大丈夫だろう・・と
安堵した途端、また貧血で倒れるようになり、2~3日寝たきりになって、手術後たった2か月で旅立ちました・・。

何より悲しかったのは、留守番が大嫌いで、いつも私のそばから離れなかったアスカが、仕事に行ってるたった2時間半の留守の間に逝ってしまったことでした・・・

最期の時、そばにいてあげられなかったのが、とてつもなく心残りです・・。

アスカは、私にはもっていない愛嬌と明るさがあり、悪賢くて食いしん坊で、外面がいいのにわがままで・・・
ベッドの右側にいつもドンと寝るアスカが大好きでした・・。

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   2016年 7月15日 享年12歳




2018年03月03日 (土) | 編集 |


東京へ移動するにあたって、先代のバセットのモンちゃんが獣医さんの薬の処方ミスで亡くなってしまったことを配慮してか、東京に来て3ヵ月後、いきなり生後6ヶ月のバセットハウンドが来ました・・

私はもうこれ以上、犬を増やすことを拒否していたのですが、大好きなバセットハウンドを目の前にすると、やっぱり心が折れてしまい、でも気持ちがまだ揺れていたので、東京王国で入った新人さんに名前をつけてもらい、「クレア」を迎い入れることとなりました・・

クレちゃんは、とにかく誰とでもフレンドリーでマイペース・・

当時、子犬で仲良しだったのが、ウィペットのトンちゃんやフレブルのくぅーちゃん、成長してからもワイマラナー軍団とな仲良くて、年齢が近いアスカやシジミとはあまり遊ばず、うちのグループ以外でよく遊んでました・・・

だから王国を辞める時、クレちゃんを置いていくかどうか躊躇しましたが、一度クレちゃんだけを残して家に帰ったら、すごい鼻をならして泣いていた・・と聞いたので、やっぱり引き取りました・・・

でも、散歩でも違う犬を見ると、とにかく遊びたくて、ドックランでもほかの犬と一緒に夢中になってボール遊びするので、発情以外はなるべくドックランに連れていってました・・

低空飛行のフリスビーもキャッチできましたが、やっぱりボールの方が大好きで、ボギーと取り合いになっても一歩も引かず、
マジ喧嘩を何度もしてました・・


発情が来るとドックランに入場できないので、知り合いの獣医さんが故郷で開業する前に、アスカ、シジミ、クレアの3匹をいっせいに避妊手術をしてくれるというので、お願いしたのです・・。

最初に、パグのシジミをしてもらい、その数日後にアスカとクレちゃんを2匹同時にしてもらいました。

アスカは麻酔後すぐに目覚めたのですが、クレちゃんはなかなか起きてこなくて、「個体差かな・・・」と呑気にしていたのが、そもそもの間違いでした・・・

夜中の2時過ぎ・・ぼんやりと覚め・・・苦しそうに息を引き取りました・・

知り合いの獣医さんも原因を知りたくて、次の日、解剖してもらい、そしたら腹空内に大量の出血がありました・・
ですが縫合はちゃんとしてあり、手術的にはなんのミスもなく、強いていうなら発情終わりだったのが要因・・

今まで何匹も去勢・避妊手術を経験したし、自分でも獣医監修の下で実際に手術したこともあって、まさか避妊手術で死んでしまうなんて思いもしなかったのです・・・

過去に王国でパグが去勢手術の際、麻酔の関係で死んでしまったことを聞いていたので、だから最初にパグのシジミをしてもらい、クリアしたので大丈夫だと・・・・

何より私がもっと早く麻酔から覚めないのを不審に思って気づいていれば・・・という後悔ばかりでした・・

クレちゃんは、先代のモンちゃんとは違って、全く病気知らずで健康そのものだったのに、なんともやりきれないです・・

獣医さんは、故郷に帰る前にわざわざ立ち寄ってくださり、クレちゃんに花を手向けてくれました・・・


大好きなバゼットハウンドなのに、2度も突然失ってしまい、何とも言えない虚しさだけ残っています・・・

許されるならもう一度、バゼットと暮らしたい・・・・

今度こそは長生きさせたい・・・と  

クレちゃん、ゴメンね・・・

大好きだったよ・・

          
          2011年 3月3日  享年 6歳


2018年03月01日 (木) | 編集 |


中標津の宿舎でジン(父)とテキーラ(母)の間の8匹兄妹で、5匹は里親がみつかりましたが、
先天性の足が悪かったターキー♂は中標津に残し、ライカ♀が犬ゾリ軍団に入り、売れ残っていた♂のボギーを私が引き取りました・・

なるべく♂は避けたかったのですが、♂しか残っていなかったので仕方なく、ジャックラッセルテリアのJOYのフリスビーの向上心を高める為にボギーを入れました・・
(♂は子孫繁栄の本能で、ケンカが絶えないからです・・

とにかく賢く、教えればなんでも習得する優等生で、さすがシェパード!と思いました・・・

番長のビアンカと、おっとりボス、ボール遊び仲間のレイラの女軍団の中で育ちましたが、一度もオスっ気は出なかったです

生後1歳になってしっかり身体が出来てから去勢手術をして、股関節のレントゲンを撮って異常はなかったので、フリースタイルでとてつもないほどのジャンプもさせていました・・・

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北海道の大地は、土の上や雪の上ということもあったからか脚への負担をやわらげていたらしく、
東京に引っ越してから関節炎となってしまいました・・

アスファルトの上を歩くからだと思っていましたが、元凶はここからだったかもしれません・・・

フリスビーより何よりボールが大好きで、それを利用して視符(手の動作で指示)はレイラ以上に習得でき、プロモーションビデオでは大活躍?でした・・

5年前に去ったボギー・・・ 

王国が閉園した後、ターキーとライカは北海道に戻ったけど、兄妹8匹の中で2番目に長生きしてくれました・・


貴方はたくさんの人に好かれていて、それだけ何か特別なものを持っていたのかもしれないが、私には未だにわからないです・・

ただ表面に出さないクールさと、照れ屋で真正直なところがボギーの魅力だったかな・・・?と思います。

いきさつははどうであれ、私のところに来てくれてありがとう~

そして嫌じゃなかったら、私のところにまた来てね・・・

              
        2013年 3月1日  享年 14歳8ヵ月


2017年09月06日 (水) | 編集 |


エバーは、アイリッシュ・ウォーター・スパニエルというとても珍しい犬種の男の子です。

両親のカーリー♀とパンチ♂の待望の出産で5匹産まれましたが、とにかく犬種の知名度が全くなかった為、3匹が残ってしまい、中標津にグローブ♂、浜中にミット♀、そして私がこのエバー♂を生後4~5カ月の時に引き取りました・・・

スパニエルは気質が強く、、中標津にいた両親も頑固だと聞いていましたが、エヴァーはとても穏やかで1日で名前を覚えたほど、とても賢い子でした・・

次の年に(旧)那須動物王国が開園にあたり、まだ建築途中だった為、輸入犬の数100匹とそこで働く研修生の育成等で北海道に来ました・・・

その犬全般を任された私はパニック状態でした・・・

エバーの犬種もそうですが、まだ日本には知られてないボースロンやブービェ・デ・フランダースやらベルジェ・ド・ピカール等、当時10年目の私ですら、犬種の性格や特徴は皆無なのと、一人あたり受け持つ頭数が半端ない状態だったからです・・・

すでに私には8匹担当していて、他にジャックラッセルのJOYと自分で初めて飼いたいと言ったバセットハウンドのモンちゃんの10匹が限界でした・・・

約1年育てたエバーを兄妹のミットと共に、泣く泣く旧那須動物王国に託したのです・・・

1998年の4月にオープンした旧那須動物王国は、ほぼ素人に近い新人さんばかりの担当者に輸入犬や王国生まれの犬を5~6匹(それ以上の人も・・)任せました・・・

エバーを託した唯一専門学校で訓練科に出ていた女性は半年も経たないうちに辞めてしまい、その後は誰が担当したかもわからず、研修生から聞く情報はあまり良いものでなく、そして数年後に前足に骨肉腫が出来たと聞いたのが最後でした・・・

そして安楽死されたと随分あとで知り、病気で展示できないのなら北海道に戻して欲しかったです・・・

せめて北海道に埋葬してあげたくて、ワガママを言って分骨してもらいました・・

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ever

・・・・決して忘れない・・という意味で付けました・・
エバー、ゴメンね・・・

           2003年9月6日  享年6歳