出会えた命の足跡
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2018年03月03日 (土) | 編集 |


東京へ移動するにあたって、先代のバセットのモンちゃんが獣医さんの薬の処方ミスで亡くなってしまったことを配慮してか、東京に来て3ヵ月後、いきなり生後6ヶ月のバセットハウンドが来ました・・

私はもうこれ以上、犬を増やすことを拒否していたのですが、大好きなバセットハウンドを目の前にすると、やっぱり心が折れてしまい、でも気持ちがまだ揺れていたので、東京王国で入った新人さんに名前をつけてもらい、「クレア」を迎い入れることとなりました・・

クレちゃんは、とにかく誰とでもフレンドリーでマイペース・・

当時、子犬で仲良しだったのが、ウィペットのトンちゃんやフレブルのくぅーちゃん、成長してからもワイマラナー軍団とな仲良くて、年齢が近いアスカやシジミとはあまり遊ばず、うちのグループ以外でよく遊んでました・・・

だから王国を辞める時、クレちゃんを置いていくかどうか躊躇しましたが、一度クレちゃんだけを残して家に帰ったら、すごい鼻をならして泣いていた・・と聞いたので、やっぱり引き取りました・・・

でも、散歩でも違う犬を見ると、とにかく遊びたくて、ドックランでもほかの犬と一緒に夢中になってボール遊びするので、発情以外はなるべくドックランに連れていってました・・

低空飛行のフリスビーもキャッチできましたが、やっぱりボールの方が大好きで、ボギーと取り合いになっても一歩も引かず、
マジ喧嘩を何度もしてました・・


発情が来るとドックランに入場できないので、知り合いの獣医さんが故郷で開業する前に、アスカ、シジミ、クレアの3匹をいっせいに避妊手術をしてくれるというので、お願いしたのです・・。

最初に、パグのシジミをしてもらい、その数日後にアスカとクレちゃんを2匹同時にしてもらいました。

アスカは麻酔後すぐに目覚めたのですが、クレちゃんはなかなか起きてこなくて、「個体差かな・・・」と呑気にしていたのが、そもそもの間違いでした・・・

夜中の2時過ぎ・・ぼんやりと覚め・・・苦しそうに息を引き取りました・・

知り合いの獣医さんも原因を知りたくて、次の日、解剖してもらい、そしたら腹空内に大量の出血がありました・・
ですが縫合はちゃんとしてあり、手術的にはなんのミスもなく、強いていうなら発情終わりだったのが要因・・

今まで何匹も去勢・避妊手術を経験したし、自分でも獣医監修の下で実際に手術したこともあって、まさか避妊手術で死んでしまうなんて思いもしなかったのです・・・

過去に王国でパグが去勢手術の際、麻酔の関係で死んでしまったことを聞いていたので、だから最初にパグのシジミをしてもらい、クリアしたので大丈夫だと・・・・

何より私がもっと早く麻酔から覚めないのを不審に思って気づいていれば・・・という後悔ばかりでした・・

クレちゃんは、先代のモンちゃんとは違って、全く病気知らずで健康そのものだったのに、なんともやりきれないです・・

獣医さんは、故郷に帰る前にわざわざ立ち寄ってくださり、クレちゃんに花を手向けてくれました・・・


大好きなバゼットハウンドなのに、2度も突然失ってしまい、何とも言えない虚しさだけ残っています・・・

許されるならもう一度、バゼットと暮らしたい・・・・

今度こそは長生きさせたい・・・と  

クレちゃん、ゴメンね・・・

大好きだったよ・・

          
          2011年 3月3日  享年 6歳
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2018年03月01日 (木) | 編集 |


中標津の宿舎でジン(父)とテキーラ(母)の間の8匹兄妹で、5匹は里親がみつかりましたが、
先天性の足が悪かったターキー♂は中標津に残し、ライカ♀が犬ゾリ軍団に入り、売れ残っていた♂のボギーを私が引き取りました・・

なるべく♂は避けたかったのですが、♂しか残っていなかったので仕方なく、ジャックラッセルテリアのJOYのフリスビーの向上心を高める為にボギーを入れました・・
(♂は子孫繁栄の本能で、ケンカが絶えないからです・・

とにかく賢く、教えればなんでも習得する優等生で、さすがシェパード!と思いました・・・

番長のビアンカと、おっとりボス、ボール遊び仲間のレイラの女軍団の中で育ちましたが、一度もオスっ気は出なかったです

生後1歳になってしっかり身体が出来てから去勢手術をして、股関節のレントゲンを撮って異常はなかったので、フリースタイルでとてつもないほどのジャンプもさせていました・・・

Nabaho311 (2)_LI

北海道の大地は、土の上や雪の上ということもあったからか脚への負担をやわらげていたらしく、
東京に引っ越してから関節炎となってしまいました・・

アスファルトの上を歩くからだと思っていましたが、元凶はここからだったかもしれません・・・

フリスビーより何よりボールが大好きで、それを利用して視符(手の動作で指示)はレイラ以上に習得でき、プロモーションビデオでは大活躍?でした・・

5年前に去ったボギー・・・ 

王国が閉園した後、ターキーとライカは北海道に戻ったけど、兄妹8匹の中で2番目に長生きしてくれました・・


貴方はたくさんの人に好かれていて、それだけ何か特別なものを持っていたのかもしれないが、私には未だにわからないです・・

ただ表面に出さないクールさと、照れ屋で真正直なところがボギーの魅力だったかな・・・?と思います。

いきさつははどうであれ、私のところに来てくれてありがとう~

そして嫌じゃなかったら、私のところにまた来てね・・・

              
        2013年 3月1日  享年 14歳8ヵ月


2017年09月06日 (水) | 編集 |


エバーは、アイリッシュ・ウォーター・スパニエルというとても珍しい犬種の男の子です。

両親のカーリー♀とパンチ♂の待望の出産で5匹産まれましたが、とにかく犬種の知名度が全くなかった為、3匹が残ってしまい、中標津にグローブ♂、浜中にミット♀、そして私がこのエバー♂を生後4~5カ月の時に引き取りました・・・

スパニエルは気質が強く、、中標津にいた両親も頑固だと聞いていましたが、エヴァーはとても穏やかで1日で名前を覚えたほど、とても賢い子でした・・

次の年に(旧)那須動物王国が開園にあたり、まだ建築途中だった為、輸入犬の数100匹とそこで働く研修生の育成等で北海道に来ました・・・

その犬全般を任された私はパニック状態でした・・・

エバーの犬種もそうですが、まだ日本には知られてないボースロンやブービェ・デ・フランダースやらベルジェ・ド・ピカール等、当時10年目の私ですら、犬種の性格や特徴は皆無なのと、一人あたり受け持つ頭数が半端ない状態だったからです・・・

すでに私には8匹担当していて、他にジャックラッセルのJOYと自分で初めて飼いたいと言ったバセットハウンドのモンちゃんの10匹が限界でした・・・

約1年育てたエバーを兄妹のミットと共に、泣く泣く旧那須動物王国に託したのです・・・

1998年の4月にオープンした旧那須動物王国は、ほぼ素人に近い新人さんばかりの担当者に輸入犬や王国生まれの犬を5~6匹(それ以上の人も・・)任せました・・・

エバーを託した唯一専門学校で訓練科に出ていた女性は半年も経たないうちに辞めてしまい、その後は誰が担当したかもわからず、研修生から聞く情報はあまり良いものでなく、そして数年後に前足に骨肉腫が出来たと聞いたのが最後でした・・・

そして安楽死されたと随分あとで知り、病気で展示できないのなら北海道に戻して欲しかったです・・・

せめて北海道に埋葬してあげたくて、ワガママを言って分骨してもらいました・・

DSC_0763_convert_20170905141548.jpg

ever

・・・・決して忘れない・・という意味で付けました・・
エバー、ゴメンね・・・

           2003年9月6日  享年6歳




2017年05月07日 (日) | 編集 |
 

モスラは生後4カ月くらいで兄妹(ニャジラ)で捨てられたのを私の部屋で飼うことにしました。

先住猫のあんなとドラミも居て、その翌年には輸入猫のメインクーンのオスとメスの2匹を中標津から預かることとなり、一気に猫のエンゲル係数が増えてしまいました・・

またその年は私の担当してるパグのモモちゃんから始まり、ピレネーのリリーちゃん、セントバーナードのボスが相次いでの出産ラッシュで、出産部屋に寝泊まりしてたおかげで、自分の部屋は猫のご飯をあげにいくぐらいしか寄り付かなかったのが災いして、初めての発情でモスラはめでたく? ニャジラとメインクーンの嵐(♂)の子供を産んでしまいました・・・

DSC_0624 (1)


7匹産んたけど2匹は落ちてしまい、まだ子猫だと思っていたけどかいがいしく世話をして、なんとかみんな里親をみつけられ、子供たちは長生きしてくれたそうです。

モスラはニャジラと違って、犬はもちろん人間に対しても誰にでもスリスリして本当に甘えん坊で可愛い子でした~

その出産の後はすぐに避妊して、ニャジラや犬たちと仲良く余生を送ってましたが、2004年を迎え、東京へ移動というバタバタな時期に、腸に癌が見つかり、開腹手術をしたら次の日に亡くなってしまいました・・・

きっと東京に行きたくなかったのかもしれません・・・。
ニャジラは2か月後に後を追うように亡くなり、本当に仲良し兄妹でした・・。

2004年 5月7日  享年13歳 



2017年05月05日 (金) | 編集 |



モモちゃんは子猫物語の映画で、素晴らしい演技力で天才といわれたそうですが、ケンカで右目が出るほどの負傷してからは、何度怒っても動物台所に入っては食べものをあさり、挙句の果てにネズミ捕りのトリモチにひっかる程、食い意地がすさまじくなりました・・・

でも王国に入ってすぐに私を慕ってくれたのは、ボス4世の傘下だからと思ってましたが、モモちゃんの意志で私についてきてくれたみたいです~
(↓ 20代の私  道産馬の弥生 モモちゃん)

DSC_0621.jpg

私が王国に入って、初めての犬の出産を見せてくれたのもモモちゃんで、なんと小型犬なのに8匹産みましたが、残念ながら4匹は落ちました・

その次の出産はパグのクー助とかかった後、ビションフリーゼのツバサと隙をついてかかってしまい、薬で下すこともできたのですが、そのまま自然にむかえたら、なんと4匹のうち2匹はパグ、2匹はツバサとのMIXを猫のように産み分けたのです

とても珍しいので、ムツさんまで驚いてました・・・

そしてその次の出産は、早産で2匹産み、2日後の予定日に2匹産むという、凄技も見せてくれました~

計6回で38匹(うち9匹落ち)・・という驚異的な出産で、たくさん勉強させてもらいました~


結構、パグって見分けつかない顔が多い中、モモちゃんは毛が白っぽく目が垂れてるので、100匹パグが居ても、すぐに見つけられる自信はありました

晩年は全身に腫瘍が見つかり、一度、摘出手術で回復しましたが、5月5日のこどもの日に私の腕の中で静かに息を引き取りました・・・

食いしん坊モモちゃんは、亡くなる前日までご飯を食べてました・・・


 2003年 5月5日 享年 16歳    モモちゃん、ありがとう